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歴史

京都市。ここが原点です。

京都市左京区、吉田山のふもとで、乳酸菌の研究、そしてヨーグルト製造がはじまりました。
明治時代が終わろうとするころです。

乳酸菌の研究がスタート

若き日の正垣角太郎。数多くの苦難を乗り越えてきた。
昭和5年、研生学会新館落城記念。中央に座っているのが正垣角太郎。多くの人がお互いに力を合わせて、製造・配達などヨーグルトの普及につとめた。
飛行機やアドバルーンで、画期的な宣伝広告を展開。
昭和11年11月27日付大阪朝日新聞の全面広告。
ソキンの製品説明会で全国を講演する正垣一義。

1905年

1914年

1925年

1936年

1937年

医師/正垣角太郎(明治7年生まれ)、 エリー・メチニコフの「長寿論」に感動する。
まずは自らの身体で乳酸菌療法をためした正垣角太郎。胃腸疾患が治癒し、健康体へと変わるのを実感した。
「この喜びをたくさんの人とわかちあいたい。乳酸菌を役立てたい」という志が生まれ、角太郎の研究は始まった。
日本初のヨーグルト製造販売を京都で開始
前日夜から製造したヨーグルトを早朝に自転車で配達。援助の意味もこめて、学生寮をつくり、学生たちを配達のアルバイトに雇う。早朝に配達をすませた学生たちは、その後、学校へ通った。
4種類の乳酸菌共棲培養法を確立
4種類の乳酸菌培養液と砂糖溶液を混合し、あまみと滋養のある「エリー」を開発・発売。これは現代の乳酸菌飲料の原点である。
エリー株式会社・研生学会発足
エリーの宅配販売をおこなう会社を発足させるとともに、さらに研究開発をすすめるために、研究機関として「研生学会」も設立。
京都大学と共同研究
医師だった正垣角太郎は京都大学農学部/近藤金助教授、医学部/木村廉教授などと共同研究をつづけていた。
画期的な宣伝広告とていねいな顧客販促で話題に
飛行機を使った宣伝広告の手法はちまたで話題になった。ただし、派手な戦略で商品を売るのが目的ではなかった。顧客に対してはていねいな解説と正しい健康法の啓蒙を徹底していた。
角太郎の長男・正垣一義、乳酸菌8種類共棲培養法を確立 「ソキンL」として発売
さらに研究をすすめ、「エリー」をバージョンアップした「ソキンL」を発売。また、長期保存と携行が可能な「潤生ソキン」も開発。これは乾燥した粉末のなかに仮死状態の乳酸菌が生きていた。
正垣角太郎 没(享年63歳)
ソキン製薬株式会社を設立
「大木合名」、「塩野義商店」(現・塩野義製薬)をつうじ「潤生ソキン」を医薬品として販売。販売店への説明会や勉強会を頻繁におこない、正垣一義らが啓蒙活動に身を投じた。
陸軍軍医学校と共同研究開始
「潤正ソキン」は粉末状、あるいは錠剤として、戦場へも携帯できるため、陸軍との共同研究で効力が立証された。生きた乳酸菌を服用する製品としては、これが最後である。
パスツール研究所の生物学者であるエリー・メチコフ
研生学会設立の案内書面(京大との共同研究)
エリーの説明書冊子。
乳酸菌の効能を詳しく解説。
エリー愛用者に配布していたハガキ。
医薬品として発売された潤生ソキンの看板広告。

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転換期その1

牛乳から豆乳へ

ソキンの製品説明会で全国を講演する正垣一義。

1945年

戦争によって工場も長野県訟本市へ疎開移転を余儀なくされる.戦後の日本経済の破綻にともない経営が成り立たずに解散。それでも正垣一義たち は研究をつづけ原料を牛乳ではなく、植物である大豆に求めるととを試みた。そもそも戦後の物資不足で牛乳は入手できなかったとこもあり‘豆乳を使うことになったのである。
10年前、正垣ー義は大連にて同じく微生物の研究をしていた大谷光瑞師に師事。科学者であり‘研究者でもある大谷光瑞師は、実は西本願寺22世門主で、 教に身をささげる人物であった。
大谷光瑞師は「大般涅槃経」にある記述より、乳酸菌の発酵物から有効成分を嫡出する」方法を一義に提案。

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転換期その2

生きた乳酸菌分泌物へ

正垣角太郎の長男・一義。父の研究を精力的に支える。
この大般涅槃経にある記述より乳酸菌生成エキスのヒントを得た。
大谷光瑞師と正垣一義が立ち上げた研究所の看板。ここで一義は研究を重ねる。

1949年

1955年

1965年

1955年

乳酸菌から乳酸菌分泌物の有効性へ
正垣一義は国会(現在の公聴会)にて、乳酸菌共棲培養分泌物の有効性を発表・講演した。生きた乳酸菌ではなく、培養によってうまれる分泌物に、真の栄養価があることを説く。これは大般涅槃教の「乳→酪→生酥→熟酥→醍醐」という記述よりヒントを得た。最終的な過程である醍醐は「最上なり、諸薬ことごとくこの中に入る」と書かれている。この醍醐が乳酸菌の分泌物であるとして、さらに研究をすすめた。
乳酸菌発酵ろ液「味のちえ」を発売
大豆をベースに乳酸菌を培養してできる分泌物(発酵ろ液)を家庭用・業務用として開発。「味のちえ」は食品改良液としても発売された。
生鮮食品の鮮度保持液として発売
「味のちえ」は、寿司やパンで日持ちと自然味をます天然素材の保存料として使われる。発酵ろ液は天然素材の鮮度保持液だが、当時は豆乳の成分も入っていたため、酵母発酵が起きて製品が変質しやすいという弱点もあった。また昭和40年頃から合成保存料や着色料などの添加物が食品業界で使う時代となり、「味のちえ」も売上が低迷していった。
無農薬農業の土壌改良液として発売
乳酸菌発酵ろ液は、無農薬農法の土壌改良液としても重宝されるようになった。土壌微生物を増やし、根の細胞健全にするものだった。(改良を加え、現在では「エクセルG」として販売されている。)
大谷光瑞師の銅像。
現在は、富士工場内にある。
乳酸菌生成エキスは天然素材の保存料として、多くの店で愛用された。

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転換期その3

発酵ろ液から生成エキスへ

「智通」初代モデル
「智通」2代目モデル
「智通」5代目モデル
医療機関用乳酸菌生成エキス「アルベックス」
1回飲みきりタイプ「ラクティス」

1980年

1984年

1985年

1995年

2000年

2002年

2004年

2006年

2011年

乳酸菌発酵ろ液から有効成分を抽出する方法を確立
発酵ろ液から「乳酸菌分泌物」と「乳酸菌細胞をまもる物質」のみをとりだすことに成功。現在の『乳酸菌生成エキス』が誕生。
乳酸菌生成エキス「智通」発売
仏典の「智慧通達」より命名された「智通」は健康食品として販売。これが『乳酸菌生成エキス』の完成品といっていい。正垣一義は自分の甥である福井正和・正勝とともに「株式会社物心科学生活研究会」を設立。(現在の「株式会社ビーアンドエス・コーポレーション」)
正垣一義 没(享年84歳)
乳酸菌生成エキス・臨床研究を開始
単純な健康ブームとしてではなく、科学的根拠とともに「智通」を紹介するために、さまざまな研究を開始。
農薬と化学肥料を不使用で栽培する大豆自社農場を富士宮市に開設
安心で安全な製品づくりのために、原料からすべて自社でまかなう。
静岡県富士宮市に、新工場建設
安全性と品質を高めるために新工場を建設する。
ギリシャの医学雑誌「オンコロジーレポート」に論文掲載
九州大学医学部/藤野武彦名誉教授と(株)レオロジー機能食品研究所/灘修身博士による免疫活性効果の研究
医療機関用サプリメント乳酸菌生成エキス 「アルベックス」発売
医療の現場で「智通」が使われていたが、さらに医療用の製品に対するニーズが増加。「アルベックス」は医療機関でもっとも使われているサプリメントとなる。(月刊「健康と医療」ドクター1000人アンケートより)
飲みきりタイプの乳酸菌生成エキス「ラクティス」発売
社名を株式会社ビーアンドエス・コーポレーションに変更。
ヨーロッパの医学誌「イミュノロジーレター」に論文掲載
新潟大学大学院/安保徹教授による免疫調整効果の研究。
脈々とつづいてきた乳酸菌研究熱によって、乳酸菌は生きた菌から発酵ろ液、発酵ろ液から生成エキスへと改良され、人々の健康に役立つサプリメントとして現在に至る。人々の健康増進を願って約百年。さらなる研究に邁進中。
富士工場 健康食品GMP取得
B&S Co.3代目取締役・福井正勝(中央)
オンコロジーレポート(上)
イミュノロジーレター(下)
現在、さまざまなセミナーや講演会を開催している
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